木部の由来

木部地区はかつて「鬼辺郷」と呼ばれていました。「鬼辺郷」は九頭竜川、兵庫川にはさまれた地域(坂井町木部地区、三国町木部地区、春江町西部)を指し、一帯は、低湿な氾濫地域で集落を囲むような堤防(木部堤防)が形成され、木部輪中(1796年完成)と言われていました。

 木部輪中絵図には、九頭竜川の右岸の折戸から正善に向かい更に清永附近より兵庫川の左岸にわたる堤防が描かれています。

 「鬼辺郷」の名は和名抄には記載がなく律令時代何郷に属していたかは明らかではないが、語源は「鬼退治の伝説」や木部新保、木部西方寺にある紀倍神社の創建から見受けられるという説もあるようです。また古来より鬼辺・鬼部・紀部・木部などと国音が相通ずる文字を使用していたようです。

鬼辺輪中絵図 <江戸時代 井上正也氏蔵>