鬼辺沢の開拓

昔、越前平野は湖であった。継体天皇が三国におられた頃。三国のところで切り開いて水を日本海に流し、九頭竜川、竹田川、兵庫川ができ越前平野となった。しかし、当時はまだ木部の辺りは沼地で大沢と呼ばれ鬼が住んでおり鬼辺とも云ったそうです。そのため比叡山の三千坊のうち七坊がこの地にきて鬼退治をしてくれました。そしてこの周辺に住みついたということです。この七坊が清兼坊・正藤坊・久光坊・月僧坊・先達坊・末政坊・末永坊の七人とあるといわれています。

今日、折戸には清兼坊・正藤坊の末孫がある。正藤甚右ェ門本家は明治の末に絶えたが子孫は現在金牧家である。又、木部新保の願行寺様は久光坊の末孫、月僧坊の末孫は堀越に、先達坊の末孫は辻地区に、末永坊の末孫は木部西方寺に残って居るということで、木部郷の各村はこれらの七坊の子孫によって開拓が始まったということです。