今井


 今井の地名は井戸に関係しているようです。百姓が開拓する際、最初に井戸を掘る。その井戸を中心に集落ができる。この事が由来となっているようです。

 慶長の越前国絵図では新郷に属しており古くは奈良興福寺領河口庄の一部に属したと思われます。江戸初期は福井藩領であったが、天保2年(1645)に松岡藩領、享保6年(1721)には再び福井藩領になった。集落には熊野神社があり、境内の石祠は田の神様が祀ってあります。

 江戸時代には三国町玉ノ江の難波字は今井区の飛地でした。この飛地に関しては、次のような伝説が残っています。慶長3年7月太閤検地の折、今井の人が「今井の村高は歩がからくて(田畑に対する年貢の割合が高くて)五百八十石((一石とは一人の一年分米量(食糧))はないので大変困る。」といって検地奉行を追いかけ、盛んに陳情をした場所が、玉ノ江の田地の真ん中で、この場所を飛び地として五百八十石の一割を与えられました。「歩がからい(辛い)」と言ったら、奉行はそれならなんば(唐辛子)と言えといったそうです。このなんばが難波字の由来となったということで

す。