折戸


 地名の由来は小高い丘に関係されているようで、自然堤防の小丘を意味しているのではないかと推測されます。

 天正15年(1587)の堀秀政知行宛行状に 「新保折戸貞弘」と折戸の地名が見られます。慶長の越前国絵図では上木部之庄に含まれています。江戸期には貞享3年(1686)に福井藩から幕府領になり、文政元年(1818)には福井藩領に、同3年には再び幕府領に変わっています。

 九頭竜川に面しているため、対岸の下野村との間に渡場がありました。九頭竜川の堤防決壊の記録が多く残り、明治中期には何度も大きな水害に見舞われたことで、明治33年から44年にかけて河川改修が行われ、この改修区域に入っていたため、37年に集落ごと現在地に移転しました。

 明治25年から36年まで折戸尋常小学校が、さらに42年から大正9年までは木部尋常小学校がありました。

 集落の北西の角に白山神社があり、祭神は鬼神であります。昔このあたりの大沢という沼に鬼が住んでいたといわれ、比叡山より正藤甚右ヱ門らがやってきてこの鬼を退治したといわれており、その頃から鬼人を祀ったと言い伝えられています。

 今は堤内になっている字「鯉飛」にあったものを集落移転と共に現在地に移されました。

 折戸の第3字の鬼の辺、第5字の追込、第8字の大沢、第41字の咽首(のどくび)は水鬼退治に関

連した地名であるといわれています。