島集落は古代遺跡の発見から古墳時代の発生と考えられるが、その頃付近が泥沼であったり、坂井平野の最低地域を主体とする氾濫地域であったから、島とよばれたと思われる。

現在も島の田地は清永の田地に取り囲まれて島状になっている。字「砂田」という地名があるが、その一帯では地下に砂だまりがあり福井地震の時にはあちこちで砂が噴き出したという。

 集落の発展は、江戸初期、北兵庫(下兵庫村)の岡崎武兵衛家から分家した岡崎九左衛門が島に移り住み沼地を開発したといわれている。「越前地理指南」には島村には深田が多いと記述があり、原野が広がっていて鷹狩りに適した場所でもあったようだ。

 集落の東に春日神社があり、その境内には地元では「アイバの神」と呼ばれ百姓の神として崇め

られている石祠がある。約400年前から伝わる祭事で、2月4日(現在は1月4日)にご神体二体に、それぞれ直径 センチ(1個1升)のおにぎり2個と4つ割りにした大根を供えて、豊作を祈願する。供えたおにぎりが野鳥や猫などに食べられ、早くなくなると、その年豊作になるといわれている。