木部新保のおみこし

 木部新保の神社は、1200年あまり前に建てられたものです。このころ、この辺りは湿地芦原であり、黒い雲がたちのぼり、雷が鳴りやまず、通った人が死んでしますこともありました。また湿地の中央部の大淵には水鬼が住んでいたと伝えられています。人々は、山城国(京都)の加茂神社の分身をいただいてこの村の神(別雷神)として大切にしました。

 戦国時代、朝倉の殿様は、この神社を大変すばらしいものと思い、みこしをくださいました。

このみこしは木部の郷 17郷のシンボルとして毎年9月19日(旧暦)に木部郷全体を練り歩いたそうです。

 ところがある年、木部新保から来たみこしが折戸との境で動けなくなり、(木部)西方寺に納められたとのことです。

 現在は木場新保だけで渡御がおこなられています。